子育て日記 —縄文と赤ちゃん−
- 2018年9月17日
- 読了時間: 3分
30年間知らなかったけど、出産と育児は実に野生的な行為だった。
これまで経験してきた文明的な生活・仕事は一体なんだったんでしょう!

野生動物のような寄声をあげて、ワイルドに乳に噛み付く。
気に入らないと、破れそうな声で泣き叫ぶ。
なんでも(石でも土でも落ち葉でも!)口に入れて食べる。
好奇心の赴くままにどんな危険な場所にも突進する。
そんな赤ちゃんと付き合ってると、こちらまでどんどん原始的になってしまって、
家の中では二匹で相当原始的な生活をしている。
ふたりの会話は、「あー」とか「わー」とか「ばばばばば」。

ふと
「このまま縄文時代にいっちゃっても、この子はきっとやっていけるんだろうな」
と思う事がある。
きっと人類誕生以来、お母さんと赤ちゃんがやってることはあまり大きく変わっていない。
科学が発展し、人類が進歩した今でも「はじまりの赤ちゃん」は無限の可能性を秘めた野生の生き物だ。
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夏休み、東京国立博物館で開催されていた「縄文展」。
今から5000年も前につくられた土偶や土器には、妊婦さんや赤ちゃんがたくさん象られていた。

赤ちゃんの誕生が、縄文人にとって神聖で喜ばしいことだということがひしひしと伝わって来る。
女性のからだを通して、「あちら」から「こちら」へ引っぱり出される赤ちゃん。
それは自然の原理だけれど、自分が体験していてさえ、おなかが膨らんでいくことも、おなかの中で
ちいさな足に蹴られたりすることも、不思議で仕方なかった。
(最後まで「で、君はそこからどうやって出てくるつもりなんだ?!」と謎に思っていました。)

縄文時代の女性たちも、わたしと同じように不思議に思って、生まれ出てくるときには息も絶え絶えにびっくりしたと思う。生まれた子をみて、涙が出たと思う。
妊娠中、ときには「無事生まれてくるだろうか」と心配に思ったり、
「元気に生まれておいでよ」とおなかを撫ぜたりしたんだろう。
医療のない時代、その心配はわたしたちよりも大きかったかもしれない。
実際、たかだか400年前の江戸時代ですら、逆子になった子が母子共に助かる可能性は
ほとんど無かったほど出産は命がけのことだったのだから、
5000年も前ならば、命を落とした赤ちゃんと女性もかなりいたと思う。

だからこそ、家族、集落のみんなで、神さまに祈ったんだろう。
洞穴の中、火に照らされて「縄文のビーナス」をはじめ土偶たちは、
人々の環の中心で祈りを一心に受けて、人々をじっと見守っていた。
5000年前からほぼ変わらない自然の営み(出産・育児)が今もあって、
人々の変わらない「祈り」(願いといってもいいのかもしれない)がそこにある。
5000年の眠りから醒めて、美術館に飾られた土偶たち。
変わらない祈りを携え、ウィンドウ越しに向き合う現代人の心をどう思っているだろう。

出産という不思議な「自然」を経験したこと、ことばの通じない野生の赤ちゃんと暮らすこと。
人類誕生以来、多くの女性が果たしてきた「しごと」。
自分がその大きな自然の流れに乗ったこと、時空を超えて通じる感覚、経験を得たこと、そこから広がる新しい世界の発見!

わたしの子育てはまだまだ始まったばかり。
こどもが巣立つまで、あと17年。(きっと、あっという間だ。)
5000年から受け継がれてきた祈りの灯火を、けして消えないように心に灯して、
子育ての「いま」を大切に生きていきたいと思う。





















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