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あたらしい10年の始まりに。

  • 2018年3月12日
  • 読了時間: 3分

3月に迎えた30歳、あらたな10年が始まる!とわくわくする気持ちと、「もうここまできてしまったか。」という、ちょっとしたおどろきに満ちた春になりました。

秋、庭に植えたチューリップの球根。

「陽がちょっと長くなってきたかな」と思ったらむくむくと芽を出し、あっという間ににょきにょき葉を出した。花が咲くまであと何日だろう。

仲間に迎えたばかりの小さなしだれ桜の枝には、薄桃色の芽がふくらんでる。

そういう、ちいさな変化がうれしくてしかたない春が、あたらしくやって来た。

変化の連続だった20代、今思えば春の嵐のようだったなと振り返る。

能天気だった大学生から、社会人、結婚、転職、妊娠、出産までの盛りだくさんが詰まったこの10年だった。

楽しいこと嬉しいこと、つらくて苦しいこと、たくさん経験できた。

ちいさな世界の、守られた学生だった。

傷ついても倒れても立ち向かい、自分なりに、むき出しの社会を経験できて本当によかったと心から思う。

そんなふうに思える30歳になれたこと、今まで支えてくれた多くのひとたちに感謝したい。

これからの10年をどう生きていこうと思う。

AIの台頭は世界を変えるといわれている。

今までの価値観が通じない世界がやってくる予感。

産休前、AIに関わる仕事をしているときに、ふと「人間にしかできないことって何だろう?」と考えていた。事務仕事やチェック作業、知識に関わることなんて、AIの方が長けている。

0から1を生み出す創造性、コミュニケーション、思いやる心、お笑い、ダンス、音楽、スポーツ、お料理、カフェ、役者、ぬくもり、もふもふ、愛情・・・?

わたしの偏見かもしれないけれど、これからはよりいっそう人間の「おもい」や「こころ」が、しいては「物語」がたいせつになるんじゃないかな、と思った。

ただその「モノ」が欲しいのではなくて、その「モノ」が生まれるに至った物語、それに携わる人の「想い」にこそ価値があるように。

ただの栄養として「食べもの」があればいいんじゃなくて、だれかのことを思って、ていねいにつくられたごはん。元気が、食物の栄養素だけじゃなくて、こころを込められたその「料理」からもつくられているように。

その物語、想いこそが、人の琴線にふれる。

人と人が、響き合う。

欠けたなにかが、満たされる。

そんなことを考えていたときに、我が家に今までの価値観(理性)が通用しない生命がやって来た。

チャンスだ、と思った。

これからの10年は、この生命と一緒に新しく世界を見て生きてみようと思った。

すべてのことが、まるで初めてかのように、初々しく物事に感動しよう。

この子育て、ひとつひとつのことの「物語」と「想い」をたいせつにしていこう。

「これは、どうせこう。」「めんどくさいな。」古い、今までのわたしの考えなんて吹き飛ばして。

「そうか、それもありだね!」「やってみよう!」

さいごに、この詩。

「生命は」  吉野 弘

生命は

自分自身だけでは完結できないように

つくられているらしい

花も

めしべとおしべが揃っているだけでは

不充分で

虫や風が訪れて

めしべとおしべを仲立ちする

生命は

その中に欠如を抱き

それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分

他者の総和

しかし

互いに

欠如を満たすなどとは

知りもせず

知らされもせず

ばらまかれている者同士

無関心でいられる間柄

ときに

うとましく思うことさえも許されている間柄

そのように

世界がゆるやかに構成されているのは

なぜ?

花が咲いている

すぐ近くまで

虻の姿をした他者が

光をまとって飛んできている

私も あるとき

誰かのための虻だったろう

あなかたも あるとき

私のための風だったのかもしれない


 
 
 

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