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はしっこの、海と風の街〜稚内〜

  • 2015年10月25日
  • 読了時間: 3分

はしっこに出掛けた。

海と風の街。

北のはしっこ、稚内。

雪が降って、空は真っ白。

海は一面、波で真っ白。

デンマークからスウェーデンにかけて伸びる、

果てしない線路を思い出した。

灰色の空の下、両側を真っ黒の海がうねる。

飲まれたらひとたまりもないな、と心細くなるようなちいさな列車。

アンデルセンの描いた人魚姫は、こんな海に住んでたんだね、と思ったのを思い出した。

アンデルセンと小川未明の描く人魚は、ちょっと似ている。

やさしくて、うつくしくて、かなしい。

どの物語も透明できれいなせかいだけれど、

通奏低音のように流れてるのは、さみしい空気。

「人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。

北の海にも棲んでいたのであります。 北方の海の色は、青うございました。

ある時、岩の上に、女の人魚があがって、あたりの景色を眺めながら休んでいました。

雲間から洩(も)れた月の光がさびしく、波の上を照していました。

どちらを見ても限りない、物凄い波がうねうねと動いているのであります。

なんという淋しい景色だろうと人魚は思いました。

自分達は、人間とあまり姿は変っていない。

魚や、また底深い海の中に棲んでいる気の荒い、いろいろな獣物等(けものなど)とくらべたら、

どれ程人間の方に心も姿も似ているか知れない。

それだのに、自分達は、やはり魚や、獣物等といっしょに、

冷たい、暗い、気の滅入(めい)りそうな海の中に暮らさなければならないというのは

どうしたことだろうと思いました。

長い年月の間、話をする相手もなく、いつも明るい海の面を憧がれて暮らして来たことを思いますと、

人魚はたまらなかったのであります。

そして、月の明るく照す晩に、海の面に浮んで岩の上に休んでいろいろな空想に耽るのが常でありました」

樺太がまだ日本領だった頃、宮沢賢治は稚内から樺太へと旅に出た。

その船が出ていた頃の名残の防波堤が、まだ残っていた。

ここは、ヨーロッパとアジアの境界線。

はしっこは、言い換えれば最前線でもあって、

はしっこのさみしさと、最前線であるというどこか緊張した空気が漂う。

シャッター街のアーケードのロシア語。

樺太で亡くなった日本人の慰霊碑。

向こうの方に、樺太が見える丘。

この街は、気高きケダモノの世界でもあった。

野生の海豹なんて初めて見たけれど、

海から頭だけひょっこり出して、じーっとこっちを見ている姿は

ちょっと人間みたい。

10月なのに、雪が降った先から風に攫われる。

全国有数の風力発電のメッカでもあり、風力発電の発電機もたくさんあった。

海から吹き付ける強い風に、枯れた草木が乾いて揺れる。

どこからやって来たのかわからない、波と風に洗われて無機物となった、化石のような流木たちも。

途方もなく続く道の途中、ランドセルを背負った小学生を見た。

日本最北端の地には、「中学校跡地」の石碑が建っていた。

断崖絶壁の風吹き付ける丘で、中学生が通って勉強していたんだと思うと、

それだけでなんてすごいことだろうと思う。

小学生といえば、先日、去年教えていた小学校の学芸会で

ぴかぴかの1年生が宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を朗唱していた。

可愛いらしい、一生懸命な声で、

「褒められもせず 苦にもされず そういうものに 私はなりたい」

と元気よく朗唱していて、思わず涙がほろりとしてしまった。

意味も何もわかったものではないのだろうけれど、

あんなまっすぐな声で届けられたメッセージは間違いなくおとなの心を打つし、

あの時期に覚えたものは、きっと大きくなっても心のどこかに残っていくと思う。


 
 
 

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