童話作家と「子どもの目」
- 2015年2月7日
- 読了時間: 5分
金曜日のよる、童話作家の茂市久美子さんに出会いました。
茂市さんが現れたとき、なんともいえないやさしい空気が、辺りにひたひたと満ちてきました。
私が惹かれる女性はいつも、こんなふうにしずかな強さを持った、やわらかくてしなやかひと。
ものすごい速さで過ぎていく生活のなかで、見落としてしまうようなちいさな出来事の中にこそ、
物語の種はあるといいます。
幼い頃、岩手のおばあちゃんが語ってくれた「遠野物語」の伝承、
岩手県で旅館を営んでいる実家で起きた出来事たち、
100年もの間、栗の大木の中で眠っていた子ぐまのミイラ、
ソフトクリームの大好きな男の子たちのおはなし・・・
「わたしの一番の楽しみは、物語の種に出会えたとき。そのときがどんなときよりも、幸せです。」
今、縁あって、たくさんの「子どもの目」と出会う機会に恵まれている。
いつの間にか大人になっていた私が、当たり前だと思っていたことも、
今更疑問にすら思えないこと、ものすごい速さでさっと通り過ぎてしまうたくさんの事に、
子どもたちはブレーキをかけ、突然、鮮やかに色を塗ってくる。
嘘のないまっすぐな目が飛び込んで来ると、思いがけず私の世界は新しくなる。
「どうして?」「なんで?」
そんなとき、あぁ、この目がほしいな、とうらやましく思う。
世界はもう、「上の方の誰か」が「遠いところ」で決めてしまうもので、自分とは関係ない、
この世界は変わらないと物わかりのいいふりをしている私に、世界とつながる鍵は、不思議は、
謎は、そこら中にちりばめられている事を教えてくれたのは、子どもたちの目でした。
この間も、「トイレに花子さんがいた!」大騒ぎ。
なわとびのかたっぽを廊下にずるずる引きずって、「わんちゃんのおさんぽ!」大はしゃぎ。
きっと子どもたちにとって、それは「ほんとう」のことなんだ。
ファンタジーと現実の世界を、目をきらきらさせながら、ぐるぐるかけっこしてる。
いつも全力で、世界をぐんぐん広げていく子どもの目。
子どもの目にかかれば、「あれも、これも欲しい。」とデパートに行って、
本当の顔を白粉の下に隠しながら、なにかいろいろなものと意識の中で戦い、
疲れ果て、肩を尖らせて生きるような世界は、みるみる小さくなってしまう。
子どものために(いや、今は大人になった元•子どもたちのためにも)物語を紡ぐ人は、大人の世界にちゃんと生きながら、「子どもの目」を心の中で、だいじに守り続けている人なんだろう。
現実とファンタジーの境界線をおいかけっこする物語で、大好きな童話があります。
「ちいさいモモちゃん」シリーズ 作:松谷みよ子

ママのほっぺを引っかいたのを、ネコのプーのせいにしたり
10円のガムじゃなくて20円のガムがいいって泣きわめいたり
妹のアカネちゃんを毎日5回は泣かせて、押し入れに閉じ込めたり
学校じゃ、男の子を10人もドレイにしたり
「あら、まぁ!」なモモちゃんと、すなおで泣き虫な妹のアカネちゃんのお話です。
私は、モモちゃんとアカネちゃんでいえば、モモちゃんのほうが身につまされる部分が
多かったように思います。(名前だけというより、性格的にも・・・笑)
モモちゃんとアカネちゃんのママは、お仕事ママ。
モモちゃんは小さいときから「あかちゃんのうち」に預けられ、
ママはパパとすぐにおわかれします。
今ではよくある話になってしまいそうだけど、1964年に出版された当時では、
かなり新しいタイプの童話だったに違いありません。
妹のアカネちゃんは、パパが大好きで、おわかれした後も、さみしくってたまりません。
「ママはパパを、だれにあげちゃったの?」
「ママとパパが、どうしてさよならしたか、そこんとこ、かいてほしいの。」
でも、おわかれした後しばらくして、パパはこの世からさよならしてしまいます。
そのとき、アカネちゃんは泣かなかったのに、モモちゃんは3日3晩、泣き崩れました。
「モモちゃんは、泣きたくても、ずうっとがまんしてきた。モモちゃんはおねえちゃんだから、パパのことなにもいわないで、がまんしてきたのさ。だから、たまっていた涙が、あふれだしているのさ。」
アカネちゃんが生まれる前、まだ3人で暮らしていた頃のストーリーでは、
モモちゃんとパパのエピソードはたくさんありました。
モモちゃんだって、甘えん坊で、とっても泣き虫で、なによりパパとママが大好きだった。
でも、おわかれした後からは、モモちゃんとパパのストーリーはぷっつりなくなり、
アカネちゃんとおわかれしたパパのストーリーばかりになりました。
学校で「パパがいない」といじめられても負けないで、
アカネちゃんが小学校でつまはじきにされたときも、「みんなをぶっとばしてやる!」と
立ち向かって守ったのはモモちゃんでした。
「花咲き山」はあまりにも有名な絵本だけれど、
主人公のあやが、「妹のそよに祭り着を買ってやれ」とおっかぁに言ったときのあのきもち。
妹を喜ばしてやりたい、そのためならば、わたしは辛抱しようと思ったあやの心が、
人知れず美しい花を咲かせたことが、ふと思い浮かびました。
モモちゃんも、強い「おねえちゃん」になるために、人知れず、
花咲き山にいくつも花を咲かせたことだろう。
パパなんて忘れたかのように気丈にふるまい、滅多に泣かなくなったモモちゃんが、
パパが亡くなって堰を切ったように泣き崩れる様子はあまりにたんたんと描かれていて、
身につまされます。
親になるって、こういうこと。さよならするって、こういうこと。
ファンタジーと現実のあわいに真実が隠された、物語です。
大人になったから、わかったことがたくさんある。現在進行形で増えていく。
だから、子どものままでいたかったなんてけして思わないけど、
子どもたちからもらった「子どもの目」の種を、今もう一度、
失くさないように育ててみたいと思う。





















コメント